265 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/05/20(木) 03:19:33 ID:???
親父は昭和11年生まれで、終戦の年には小学生だったんだが
横浜市街から、同じ横浜市の今の十日市場とかあのあたりに縁故疎開してた
港湾都市から離れれば安全だろう程度の考えだったようだが、航空機からすればそれこそ目と鼻の距離だ
ある日、空襲警報が出て、いつものように集団下校することになり、田んぼのあぜ道を隊列を組んで家に向っていた
今もあのあたりは、田んぼが多いが、当時は横浜線の線路まで見渡す限り農地で、丸裸の一本道だ
そこに、グラマンが単機であらわれた
上級生が畦に伏せろと命じたが、親父はかろうじてそれに従ったものの、
田の中を逃げようとして転ぶ者、来た道を走って戻ろうとするものその場に座り込む者など、騒然となった
グラマンはゆっくりと旋回しながら、畦に対して浅い角度で緩降下に入った
親父は「真っ直ぐに自分に向ってくる」と思ったそうだ、顔を伏せたいが、敵から目が離せない
そして「あ、撃たれる」と覚悟した直後、パイロットの顔が見える距離まで降下したグラマンは
銃撃をくわえずにゆっくり(本当は凄く速かったに違いないのだが)飛び去った
親父はパイロットの口元が笑ったように見えたそうだ
厚木の戦闘機が艦載機が来ると逃げていた終戦の年とは言え、銃弾を撃ちつくしていれば、
昼間の敵地上空で、こんな余計なことをせず帰艦を急いだだろう、子供の集団と見て、
手心をくわえてくれたに違いない
この話を思い出すたびに、その機に別のパイロットが乗っていたら、俺は生まれなかったかも知れないんだなと思う
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