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310 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2010/05/31(月) 17:45:29 ID:2xyqFLSM
軍事板は初めてで知識も無く失礼があったらお詫びする
母方の祖父はシベリアに抑留された。
爺ちゃんは身振り手振りで若い娘の服を調達してくれるようロシア兵に頼み、
夜になると唇に食紅を塗りロシア娘の恰好で面白おかしく風呂に入る真似をして
敵味方問わず喝采を受けたという。その甲斐あってか最初の船で日本に返して貰えたと。
娯楽の無い抑留生活の中で生来の明るさを発揮し、戦線に在っては
「弾のほうが避ける」と周囲に言わしめた爺ちゃん。ホントかよ。
近くで炸裂した砲弾により耳が遠かったけど、俺は幸せだったと婆ちゃんに言い遺し数年前に死んだ。
311 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2010/05/31(月) 23:22:05 ID:+freMq/B
おじいちゃんエライ。
逆境にもめげず、みんなを元気づけてたんだね。
でも、そんな芸達者を早く帰しちゃったら、後が寂しくなりそう。
苦労されたのに、最期まで立派。
ワシも愛する人に看取られたい。。。
312 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/06/01(火) 05:15:57 ID:???
名著「アーロン収容所」を読んでても、収容所ではこう手に職ある人が最強みたいな。
手作りの劇団に手作りの舞台に手作りの作品で芝居やってイギリス人にもウケが良かったとかなんとかも。
213 名前:168[] 投稿日:2010/05/03(月) 00:14:24 ID:VBEDgeWW
父方の祖父(2001年に他界)は開拓民として満州に渡って、ソ連軍侵攻で引き上げ時に徴兵されて前線へ。
んで、即捕虜になったんだが、技術者だったんで結構酷い扱いはされなかったらしい。
煙草とかも貰えたそうな。
「ロシアの煙草は不味かったが、吸うと妙に落ち着いた気分になった。」との事。
そんな祖父の好きな煙草はキャビンマイルドでした。
その流れを受けてか、父も何だかんだ言いながら好んで吸うのはキャビンマイルドです。
続き必要な方イルカナ?
217 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2010/05/03(月) 15:05:28 ID:lRqRuBhF
>>213
>技術者だったんで結構酷い扱いはされなかったらしい。 煙草とかも貰えたそうな。
>「ロシアの煙草は不味かったが、吸うと妙に落ち着いた気分になった。」との事。
それはもしや…
222 名前:168・213[] 投稿日:2010/05/05(水) 02:28:36 ID:XzW64Fdj
すまん、ちっと忙しくて2ch来れんかった。
>>217
今となっては真相は闇の中ですが、恐らくはアレじゃないでしょうか?
ただ、「日本の煙草が恋しかった」と祖父は言っていました。
以下続き、
酷い扱いはされなかったとは言っても、やっぱり一部兵士達からの嫌がらせはあったそうです。
後半ば洗脳教育のようなものも受けさせられたようで、かなり根に持っていたようです。
んで、オチ。
そんな捕虜生活から50年程後、私の従兄弟がロシア旅行から帰ってきた時の事です。
旅行先のお土産を皆に見せていた時、それは起こりました。
マトリョーシカ人形、キャビア、ウォッカと次々と広げられていくお土産の数々。
そんな中、祖父思いの従兄弟は祖父にゴルビー(ゴルバチョフ)人形をプレゼントしました。
その時点で祖父の機嫌はやや悪かったそうですが、従兄弟は気付かなかったそうです。
そしてその人形、ボタンを押すとゴルビーが喋るという機能が付いていました。
何気なくボタンに手を伸ばす祖父、勿論ゴルビー人形が喋り出します。
祖父は捕虜生活が長かった事もあり、ある程度のロシア語は理解できたそうです。
ゴルビー人形の言葉を聴いた祖父は突然従兄弟の胸倉を掴むと、
「お前何でこんなもん買って来るんじゃーっ!!」
っと怒鳴りながら従兄弟を張り倒したそうです。
因みに、ゴルビー人形はその日の内に祖父の手によって丁重に粉砕されてしまったそうです。
一度は現物を拝んで見たかったですが、それは今では適わぬ話・・・。
一体人形がどの様な事を喋ったのか、非常に気になる今日この頃です。
890 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 23:32:56 ID:???
終戦直後、焼け野原の町のいたるところで、何でも手に入るフリーマーケットが開かれていました。
ある陸軍大将の軍服が空襲で焼けてしまい、しょげまくったそうです。
それで見かねた奥さんが「市で将官の服が売っているから買って飾りましょう」
というので、大将は買いに出かけたんですが、まもなく
「あれは少将」のだったと言って帰ってきたそうです。
891 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2010/01/12(火) 08:32:03 ID:NrrMtiJ5
>>890
http://yahooauctionwatch.livedoor.biz/archives/51405037.html
ここの真ん中あたりを思い出した
892 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 17:34:57 ID:???
ちょっとまて、この出品されてる風船爆弾って本物だったりするのか?w
ソッチのほうが気になった
893 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 18:30:42 ID:???
作ればいいんじゃないのか?和紙とでんぷんのりでw
894 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 22:57:46 ID:???
ようし!おっちゃんコンニャク掘ってくらぁ!
552 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/09/23(水) 00:07:19 ID:???
ダッチハーバー奇襲作戦に参加した重巡「高雄」は、パラシュート降下した
敵機のパイロットを拾い、捕虜とした。
捕虜の待遇は、艦長の朝倉豊次大佐の指示もあり、きわめて優遇されていた。
監禁するわけでもなく、一般水兵と同じように自由に起居させていた。
乗員も敵視することなく、むしろお客さん扱いしていた。
一ヵ月後、作戦が終了して大湊に帰港したとき、捕虜を陸上部隊に引き渡す
ことになった。
そのとき彼らは、「皆さんと別れたくない、一緒に「高雄」に乗せておいて
くれ」と、涙を流して訴えるのであった。
重巡「高雄」 佐藤和正