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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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793 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/10/24(火) 17:48:04 ID:M4rmudXl
ちなみに、家の爺ちゃんはニューギニアから生還できた運が良い人だが、

ニューギニアで5・6人で孤立してたらしい。
腹がへってへってどうしようもなかった時に、米軍(オーストラリアかもしれんが)からスピーカーで、
「戦争は終わりましたからトウコウシナサーーイ」とたどたどしい日本語で声が。

上官に連絡とろうにもとれない状況で士官もいない状況だったので、
「罠かもしれない。嘘ついてるかもしれない」と思ってたらしい。

すると一人の戦友が「降伏してもいいが誠意みせんかーーーい」とヤケクソでいったらしい。
するとなにか金属の塊が投げ入れられてきた。手榴弾か思って逃げようとしたらなんと、コンビーフや魚の缶詰。
情けないと思いながらも「まぁ、誠意を示してくれたわけだし、お礼はいわないと・・・」と兵士全員で自分自身を説得しながらあっさり降伏。

どうやらアメさんのそこの現地の部隊に日本語がかなりできる人がいたらしく、その投げ入れられた缶詰ほど旨いものはこの世になかったと、
よく語っていましたな。

ただほのぼのとしてはいるんですが、缶詰が投げ込んでくれなければ、ヤケになってみんな最後まで戦っただろうといってました。
いっきに緊張の糸がほぐれたからこそ、降伏できたと。
正直、缶詰投げ込んだ連合軍の兵士がいなければ私すら生まれていないと思うと、ほのぼのしてないかも。

ちなみに捕まってから食わされたバターライスも旨くて旨くていまだに思い出に残ってるとよく言ってました。

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593 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/03/01(水) 21:16:32 ID:???
某板で投下した第二次上海事変時の津田部隊の第三大隊第十二中隊のある上等兵の談話
誤字など若干手直しして再投下。

「大場鎮攻撃の最中、自分は炊事方をひきうけた。幸い米はあったが、おかずがない。戦場に捨野犬がうろつ
いて敵味方の死骸を食い荒している。なんとか、栄養たっぷりな、元気のつく食物をと考えていたところへや
って来たのが皮膚病で毛もはげちょろけた一匹の野犬。死骸の御馳走で、からだだけはまるまると太っている
から、こいつを撃ち殺して皮をはぎ、肉をこまかにきざんだ。ごぼうをむいて肉とまぜ合せ、粉醤油で味をつ
けると肉飯ができ上った。皮膚病の犬でも、肉の味には変りがないから、いかにもうまそうな匂いがする。し
かし、これを遅ぶ容器がないので、砲弾に崩れ残った中国学屋へ入って捜し回ると、うるし塗りの立派な桶が
見つかった。中まで、朱できれいに塗りあげてあるから (・∀・)コレダ!! というのでこれへ詰めた。
 さっそく部隊の進撃の後を追尾したが、行けども行けども追いつかない。自分の部隊に行き当らないのだ。
ひょっとしたら自分が見落したかな?と思ってたら、もう上海の入口。

続く

594 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/03/01(水) 21:17:56 ID:???
(引返してみようか)とさまよっていたところへ『おい、貴様なにをしている!』と呼びかけたのが、同じ
大隊の上等兵です。『飯を運んで来たんだ』というと『そりゃァ有難い。こっちだこっちだ』と、部隊が
小休止している場所に案内する。『飯キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!』というんで、みんな駆け
寄った。
『おい、肉がはいってるぞ(*゚∀゚)=3 貴様、一体なんの肉だ?どうも牛ではないな?』 『なんでもいい
じゃないか(・∀・)ニヤニヤ 食ってみればわかる』 『牛でないとすると馬か?馬なら上等だ』と、兵たちが飯を
鷲づかみにしてパクついているところへ、連絡兵が帰って来た。『おい、俺にも食わせろ!』と、パクついて
いる兵隊の中へ割りこんで、二口三口夢中で食ったが『( ゚д゚)アレレ?』と言いだした。『どうした?』 
『貴様、この飯を、それに入れて連んで来たのか?』と、うるし塗りの容器を指す『ああ、立派なものだろう?
中まで塗ってある』と、自分が自慢すると『( ゚д゚)・∵.ゲェ!!』といってその兵、手にもった握りめしを放り
出すと『貴様、それがなんだか知っているのか?(゚Д゚)ゴルァ!!』と叫んだ。自分が『さァ?なんだろうな?
随分、立派なものじゃァないか。多分、骨董品かなんかだろう?』というと『馬鹿野郎、そりゃァ、中国人が
寝室へもちこむ便器だ!(゚Д゚)ゴルァ!!』とたんに『ΩΩΩナンダッテー!!』とみんな『ゲェゲェorz』やりだしたが、
腹の中へ入ったものは、どうにもならない。すると『この肉もあやしいぞ?!』となった。
『実は犬だ(・∀・)ニヤニヤ』と白状すると『畜生ッ!やったな!』と、またしても『ゲェゲェ』が始まる。」

おしまい

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394 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/01/21(土) 14:37:28 ID:???
みんな知ってるかもしれんが
時は第二次世界大戦のアフリカ
イタリア軍の捕虜になってしまったイギリス軍の将校が
「あー  俺ももう終わりかのぅ 腹減った」と思いながら牢屋でごろごろしていると
丁度夕食の時間になった
出てきた料理はワインまでついてるイギリス軍では考えられない豪華なものだったそうで
「俺ももう終わりやぁ  明日処刑するから最後の晩餐なんやぁ」と思わず思ったそうな
翌日起きてしばらくするとイタリア軍将校がやってきた
(きっと処刑の事告げるんだろうなぁ)と思いながら対応すると
「昨晩は将校である貴君に此方の兵のミスで間違って兵士用の食事を出してしまった。彼も大いに反省しているので私の顔に免じて許してやって頂けないものか」
とのたまわったそうな
流石イタリア軍!  どんなときでも飯も旨いぜ!
イギリス兵だったから余計に効果あったんだろうなぁw

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282 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/10/25(火) 14:37:04 ID:???
この捕虜作業をしている私達に中国の婆さん達が毎日食物を恵んでくれた。
私らは食事が少なかったので昼の分まで朝食べてしまって殆ど空の飯盒を持って作業に出掛けた。
昼食の時に空の飯盒をつついて居る私らを見て、
婆さん達は二三人ずつ自宅に連れて行って何かを食べさしてくれた。
昼休みに魚釣台(或いは釣魚台)と言う警察署の中庭に入れられて表に出られなかった時、
お婆さん達が巡査と揉み合いまでして私らを連れ出して食べさして呉れた。
夕方引き上げるときには天秤に饅頭や漬物を下げてくれた。
宿舎に戻って夜皆でこれを分けて食べるのが何よりの楽しみだった。
本当に有り難う御座いました。

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265 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/10/21(金) 22:38:42 ID:???
硫黄島上陸第1波に従軍取材した、米海兵隊カメラマン。
日本軍の砲撃に、とりあえず身を隠すところは、と、手近な窪地に飛び込むと、
そこは日本軍が物資の集積所に使っていたところで、
日本軍が放棄した、大量のアサヒビールが残されていた。

しめしめ・・・と、ポケットにビールビンを押し込み、手には持てるだけ持って前線に引き返したカメラマン、
伏せながら射撃する海兵隊員に声をかけた。
「ビールは要らないか?」「お前、アタマおかしいんじゃねーのか、こんなところに・・・」「これ、これ!」
ニヤリと笑った海兵隊員、歯で栓をこじ開け、伏せたまま口の端でグビグビとやって、にっこり。
・・・この調子でくだんのカメラマン、海兵隊員にアサヒビールを配って回ったという。

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194 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/08/02(火) 20:33:25 ID:???
中国大陸で従軍してたある将校、敵情視察で森の中を歩いてたら
大蛇が出てきたが、音をだすわけにも行かず軍刀でズンバラリン
視察を終えて陣地に戻り、「いやーデカイ蛇がいてさぁ・・・」と部下達に話すと
部下は大喜びで蛇を回収しに行っちゃった。
「蛇なんてどうすんの?」「うちらの故郷じゃ蛇はご馳走なんですよ、懐かしいなぁ」
「・・・本当かよ」

という事でその夜のメインとして蛇登場
「ささ、隊長からまずどうぞ」と蛇料理の入った飯ごうを差し出され
こうなっては食べぬわけにも行かず、恐る恐るモグモグ・・・
「隊長の故郷の名物のドジョウは汚い泥の中に居ますが
蛇は朝露で身を洗うきれい好きなんです。絶対こっちの方がいいです」
「そんなもんかねぇ~」モグモグ「あ、御代わりいかがですか?」
「うん、もっともらおうか」「本当にいいですか?(・∀・)ニヤニヤ」
「え?」「うまいでしょう?(・∀・)ニヤニヤ」
「・・・あ、忘れてた」次の瞬間みんな大爆笑。楽しい晩餐となったという。

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174 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/07/21(木) 14:39:15 ID:TDrqRQKh
うちの爺ちゃんは沖縄で戦って捕虜になったんだが・・・・。
つかまった時は2日くらいなにも食わずに隠れてた状態だったらしく腹ペコだったらしい。

臨時の捕虜収容所につれていかれる途中に若い米兵が腹が減っているのに
気がついたらしくコンビーフの缶詰をくれたらしい。

もちろん補給劣悪、肉なんてなかなか・・・。という状態だった爺ちゃんは
コンビーフのあまりの旨さに卒倒しそうになったそーな。

これだけだったらよくある話なんだが・・・・。
続く


175 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/07/21(木) 14:49:32 ID:TDrqRQKh
爺ちゃんは料理人だったんだわ。かなりの腕の。沖縄戦が終わって捕虜がたくさん集まるようになると、
米兵さんがあまっているコンビーフとかパンとかをたまに供給とは別に投げ入れてくれるよーになったそーな
(さすが持てる国は違いますな)

んで、どこから見つけてきたかは不明だけれど米俵を運んできてくれたりもしたそーな。
ただ生米なんてくえないので、飯ごう返してといったらなんでかフライパンをつけて返してくれたそーです。
(アメリカ人は米を料理するのにフライパンが必要だとでも思ったのか?)
それで油と米とコンビーフや、他の米軍の食材がそろったので、爺ちゃんは当然、料理を始めたらしい。

まぁ、コンビーフ入りのチャーハンを作ったらしいです。これが捕虜達の間では好評でかなり
感謝されたらしいんですが、こっからが米軍の本領発揮でした・・・。


177 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/07/21(木) 14:58:04 ID:TDrqRQKh
日本の収容所の一つからおいしそうな匂いがただよってくるのを感じ取った見張りの米兵さんが、
米を炒めた妙な料理(当時米国でも中華料理店はあったんでしょうがいまよりはずっと少ない。
チャーハンをみたことない米兵も多かったのでしょう。)

を見てね我慢できなくなったか、身振りで「ちょっと食わせろや」みたいなことをしたので、機嫌を
そこねたら大変だと思った爺ちゃんはいそいで作ってもっていったそうです。

一口食べた米兵は驚いた顔をして、サンキューといったあと交代時間に
どうやらおいしかったことを仲間に伝えたようなのです。

次の日、さらに米をもって米兵達がやってきて通訳までつれて「もっと作ってくれ。」と言われたそうです。

初めは小隊できていた米兵さんが中隊になり大隊にまでなり、どんどん食材をもってきて
チャーハンや他の中華料理を作らせれたそうで、かなり偉い少佐さんまで食べにきたそうです・・・。

どうやら軍隊の飯はまずいらしく爺ちゃんの中華料理が気に入ったようでした。

のちに爺ちゃんは本土に帰って食堂を続けたそうですが、その時に仲良くなった
何人かの米兵さんはまた来てくれたらしいです。

爺ちゃんはその時の経験から米兵を決して悪くはいいませんな。
ほのぼのしすぎっていうか、捕虜のとこまで飯くいにくるなよ米兵・・・。


178 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/07/21(木) 15:25:30 ID:???
>>177
コリン・パウエル閣下も「始めは慣れなかったけれど、今では時々食べないと調子が出ないよ」と
漏らしているそうです。
また、炊いたお米のようにモチモチしたものよりパサパサのお米のほうが米国の人には食べやすいようです。
・・・ハワイので売ってるおにぎりを一度食べるとよくわかるかも。食感はチャーハンをおにぎりにした感じです


179 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/07/21(木) 15:36:28 ID:TDrqRQKh
パウエル閣下もお米ファンか!!!!


180 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/07/21(木) 17:18:07 ID:nFHoyIqZ
>>177
爺ちゃんエライ!沖縄戦は、食文化で圧勝だね。
それにしても、気のいい米兵達にも敬意。
旨い飯を愉しめる平和が一番。


181 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/07/21(木) 17:42:29 ID:TDrqRQKh
>>177ですが。
爺ちゃんはつかまった時絶対殺されると思っていたようで米兵が
コンビーフをくれた時は信じられなかったそうです。

爺ちゃんは間違いなく米兵を何人かは殺したのに、扱いがそれなりに丁寧だったことには驚いたそうですが。
米兵は持てる者の余裕とはいえ、冗談を楽しんだり、物をくれたり、明るいエピソードが多いですな。

ちなみに最後のほうは毎日30人くらいやってきたので、捕虜の人達と協力して
ほとんど屋台状態だったらしいです。

・・・・。米兵の飯はそんなに不味いのか・・・。

ご飯作ったお礼にアイスクリームを持ってきてもらったり、タバコをもらったり、結構気楽だったようです。

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146 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/06/24(金) 08:10:10 ID:PliMM+/g
日本本土に連行された連合軍捕虜の食事は貧しいものだった。
ある日の食事などは、おかずが木の根っこだったので憤慨した。

だが空腹には耐えられず口に入れたら、意外と美味で好物になった。
帰国後もその味が忘れられず、日本料理店で注文しているのは、きんぴらごぼう…

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140 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/06/21(火) 17:34:24 ID:???
「川に溺れている子供を助けたらラーメンをおごって貰った」

去年事故で入院したときに、同じ病室に居た
昔、中国の方に出兵していたお爺さんの話しです

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138 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/06/21(火) 15:12:31 ID:???
>>131
ラバウルの今村均司令官はラバウルが孤立する事を予め読み、自給自足体制を作る事に決めた。
皆が畑仕事などしている場合ではないと愚痴っていたが
次の日の早朝、今村司令官は一人鍬を持ち畑を耕していた。

そして皆文句を言わず黙々と畑を耕し始めた。

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