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軍事板「戦時中、戦場でのほのぼのとした話」スレまとめサイト
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161 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 21:06:15 ID:???
まとめサイトにこれはってチョ!
572 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 [sage] :2009/07/18(土) 20:33:54 ID:???
1945年11月3日、敗戦時トラック島に残っていた第4艦隊司令部付軍楽隊が最後の演奏を行った。
1944年8月、第4艦隊司令部付軍楽隊は既に楽器を掘建て小屋に仕舞い込み、軽機関銃2梃を主力とする
応急陸戦隊と成っていたが、敗戦後、進出してきた米海軍側から演奏要請があった為である。
隊長は再三断り続けたが、米軍側も要請から依頼へと変わって来たことで熱意に絆された。

その依頼とは、「事情は分かる。この時期であるから、言い演奏が聴けるとは思わない。戦争が終わったが、
お互い身も心も疲れ果てている事は判る。だからこそ生の音楽が聴きたい。日本の真珠湾とも呼ぶべき
トラックで日本海軍軍楽隊の演奏を聴きたい。その最後の生の演奏を聴きたい、いや聞かせて欲しい。」
と言うもの。

11月3日の夜、司令室で日米双方の幕僚達の懇談会が行われた後、日本側の原長官を先頭に、米軍側の
司令官が続いて、幕僚達が演奏体形を組む軍楽隊の回りに寄って来た。
椅子席もあったが、それは一切無視して演奏体形を囲んだ。

譜面台は錆び付き、ボロボロの楽譜を留めたクリップも錆びていたが、先ず2~3曲、米国の曲を
演奏した。
ところが、米国側から「折角だが、米国ものは国に帰ればいくらでも聞けるから、日本のものを是非
聞かせて欲しい」と要望があり、先ず、『さくら、さくら』、続いて『軍艦マーチ』が演奏された。
それを聞いていた米国側の幕僚達は一斉に行進を始めた。
右回り、左回り、そして無造作に…。

そして、大きな声で「ここトラックを守備した日本軍の皆さん。あなたたちの連日連夜の奮闘ぶりは
立派でした。戦争は、お互い、祖国の為で仕方のないことでしたが、もう戦争は終わりました。
あなたたちは近いうちに、懐かしい内地に帰れます。でも、内地は大変荒れています。
内地の皆さんにも、頑張る様に伝えて下さい。これからはみんなして、力を合わせて二度と戦争が
起きない様、世界の平和の為に…」と日本語のスピーチを口々に行った。
最後に、挨拶を終えると、『蛍の光』が流れる中、米国の幕僚達は手を振って自軍陣地に帰って
いったと言う。
 

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